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第46回 大砲におののいた今日  7/22に頂いたものです おじじ

今日の午後、地面から響くドーンという音が何度もしています。そのたびに猫たちも私もビクッと飛び上がらんばかりです。そして小さく響く音も何度もしていますが、多分ナショナル ミリタリー パークで大砲や鉄砲を撃っているのだと思います。夏に南北戦争時代のユニフォームを着て当時の様子を再現する催し物があります。戦争という言葉は遠くに響くことばでイメージも映画などで観たり、ドキュメンタリーで観たりして思い浮かべますが、実際の状況とは雲泥のさがあることは充分承知しています。こうして遠くに響く昔の大砲におののいている自分を思い、現代の改良された武器(その破壊力など昔の大砲とは比べ物にならないと思います)が使用されている国が現実にあると思うと、その国の人はどんな日々を送っているのだろうと深刻に考えてしまいました。

平和であることになれてしまって、コンピューターのシュミレーションの戦争ゲームなど子供達が娯楽として楽しんでいるのもなんとなくこころよい思いはいたしません。アッ、またドーン!ときてちょっと飛び上がりました。ちょっと怖いくらいです。今は昼間ですから、そしてイベントとして行われているという意識があるからまだしも、夜暗闇でいつどこに大砲が落ちるかわからない状況にいることなど想像だにできません。戦争の悲惨さ、むごさを大人も子供も一人一人がきちんと心にとめておかなくてはいけないと思いました。

7/29 2001

第47回 寿司職人の次は植木職人

寿司職人はかなりの数アメリカにいると思います。そしてもう日本人以外の国籍の人も寿司職人として働いているようです。でも寿司の人気はやはり大きな都市のほうが高く多分 Vicksburg に寿司レストランが出来てもきっと経営不振で長く続くことはないと思います。生の魚というイメージがどうも馴染めないらしいです。魚でなくとも生という響きがだめなのだと思います。また材料入手が大変です。それともっと大きな理由として、珍しい食べ物に関してはこちらの方はどうも気が小さい。珍しいもの、食べたことのないものに対し挑戦したいという気持ちがあまり起きないようです。人寄せの時も日本食は絶対OKの方以外にはお出ししないようにしています。手付かずに残るからです。大切な日本食の食材をお出ししても残されてしまうのはあまりに悲しいではありませんか。

さて、もし手に職を持ってアメリカに来るんだったら植木職人はとてもいい職業だと思うのです。アメリカでのガーデニングの人気は上り坂。そしていわゆる造園(ランドスケープ)の仕事も多いのですがこれはアート、プラス職人技の専門職でなかなかいい造園業を営む人がいないのです。日本の植木職人の素晴らしい技(特に剪定)はきっとこちらで大きく花開くと思います。植木職人はアメリカで寿司職人と同じように活躍の場があるような気がします。もし近場に植木職人さんがいらしたらアドバイスをいただきたいなあと思ったりいたします。

7/30 2001

第48回 食事時のお祈り

アメリカでの生活はここVicksburgだけで、北部や東部、西部中央部などの生活は分かりませんが南部はかなりキリスト教が深く信仰されているように感じます。集いで食事をみんなと一緒にするときよくお祈りをすることがあります(もちろん各家庭でも普段の食事時におこなわれます)。神様に「ここにいるみんなとこうしてありがたい食事を共にすることができて感謝します。アーメン」(これはちょっと簡単すぎることばですが,このような意味のことを言う)とかそのグループの中の一人が指名されてお祈りの言葉を言うのですがみなさん上手です。キリスト教信者でない私もこのお祈りは抵抗なく受け入れることができます。

日本では「いただきます」と「ごちそうさま」という挨拶がありますが、確かに食事をいただく時に感謝をするというのはなかなかいい習慣だと思います。 なんでもかんでもあたりまえという生活に浸ってしまうと感謝の気持ちというものをなかなか感じる機会がありません。食事は毎日必ずするもので、食事で自分の身体に取り入れる様々な食べ物はいろいろな過程をたどって食卓にあがるわけで、取り入れた物が養分となって私たちは生き長らえていくわけです。そう考えると取り入れる食べ物にもちょっと気を付けたり、そしていただくときに感謝の気持ちを思うというのは大切なことではないかとあらためて思ったわけです。

7/31 2001

第49回 猫の獲物を取り上げる方法

猫をたくさん飼っておりますので、彼らの犠牲になった鳥や虫、小動物を観るたびに心が痛みます。犠牲になった彼らを庭の動物の墓地に丁寧に埋めて(きれいな大きな葉に包んでとか、ちょっと気持ちをこめて)合掌します。もしうちの猫が生き物を口にくわえているのを発見したら先ず飛んでいきます。そしてとてもやさしい声で「たいしたもんだ、見せてごらん、すごいねえ」 とか声をかけながらゆっくりと近づいてゆきますと、彼らは得意になって獲物を一瞬地面に置きます。そのタイミングがむずかしいのですが、置いた瞬間(本当の一瞬)にワッと言って驚かせますと猫は獲物を置いたまま飛び去ります。そのときに獲物を手に入れるわけです。

場合によりますが、彼らを無傷で安全なところに帰してあげることができます(蛙は100%大丈夫ですが、鳥はやはり傷をおってしまうケースが多いです)。傷を負った鳥は隣のヒルダのところに持っていってあとをお願いします。ですから、鳥、蛙、とかげ、虫、シマリス、もぐら、リス(シマリスより大型)などいろいろな生き物を手の上にのせた経験がたくさんあります。飛んでいくとき必要なものはキッチンミトン(ミトン型のなべつかみ)。リスなどは手をかまれることがあるからです。忘れられないのはモグラの素晴らしい感触。ミンクの上をいくと思います。口では言い表わせない感触でした。深い傷を負った犠牲者が手の上で息をひきとるときは最後までなでてあげて「ごめんなさい」 と猫にかわってあやまります。とても悲しい瞬間です。狩をするのは一匹だけなので(前はベテランがもう一匹いました)犠牲者はそう多くないのは救いです。

8/01 2001

第50回 90歳のLawn Man

新聞に載った記事です。ブルーマウンテン(ミシシッピ州)のジョン スミスさんは週6日たとえ気温が98度(摂氏37度近く)あっても雨が降らない限り芝刈りをします。刈るのは48軒のお宅の庭と2つの墓地(墓地の広さは相当なもの)です(これは一日に刈る件数ではなくこれだけのクライアントをもっているという意味)。スミスさんは目もいいし、マインドもシャープです。スミスさんの芝刈り機は赤いSnapper社のものでそれを茶色のDodgeのピックアップトラックにつないだトレーラーで運びます。彼の娘(63歳)はスミスさんを心配していろいろな方法で止めさせようとしています。「お父さん、やめたら週100ドル私たちで払いからます」とか言ったりして。彼には7人の子供がいます。誰かが「どうして元気に続けられているんですか?」と尋ねたら、「親爺は106歳まで生きた。親爺は身体をよく動かして新鮮が空気を吸っていた。私は酒もやらないし、タバコも吸わないが噛みタバコは6歳からやっている。」そういいながら彼はつば(噛みタバコは飲み込まずつばを飛ばす、野球選手がガムをかむ前はほとんどこの噛みタバコをやっていた)を地面に飛ばした。

スミスさんは2年前に妻をなくし、その2年前には竜巻で家をなくしている。でも彼は明るく毎日を送っている。リタイアーしたプロパンタンクのトラック運転手は「スミスさんにはかななわない。俺なんか自分の家の庭を刈るだけで精一杯なのだから」と語る。そしてスミスさんに「あとどのくらい芝刈りを続けるつもりなんだい」と尋ねると、「いままで68件刈っていたのを49件に少なくしたんだ」とスミスさんは言った。そして、「もしかしたら来年止めるかもしれない、But if I still feel good, I guess I'll keep going」と。
日本にもこういうおじいさん結構いらっしゃると思うのです。

8/02 2001

第51回 床屋さん

こちらにも床屋さんがあります。バーバーショップ。ダウンタウンの一角に目立たないようにあるのです。たったひとつしか椅子がなく、お客さんがいたところを今まで見たことがありません。昔小学生の頃の私は床屋さんに行っていました。おじさんが経営していて古い椅子、木の床で靴を脱いであがりました。お客さんもおじさんがほとんどでした。さっぱりしたにおいがたちこめて顔まで剃ってもらって、蒸しタオルをあててもらったときの気持ちよさを覚えています。行く度に緊張した覚えがあります。床屋では「こうしてください」と注文つけることはできなかったような気がします。おじさんが好きに刈っていたようでした。いつから美容院に行くようになったのでしょう。きっとヘアースタイルをこうしたいと思った時点からだったのだと思います。

エデイー マーフィーの映画(何処かの国の王子がNYに行く話)で観た床屋さんの場面も忘れられません。本当は一度ここの床屋さんに行ってみたいと思っているのですが、なかなか決心がつきません。日曜日のラジオで床屋さんのテーマで誰かがコメントを言っていました。床屋にはいると5,6人のおじさんたちがみんな「お先にどうぞ」と言ったというのです。年配の男性が急ぐことなくゆっくり話しに興じていたいようです。美容院が女性の憩いの場なら床屋はおじさんたち(若い男性は今は美容院にいくらしいので)の憩いの場なのでしょう。もし決心がついてこの床屋さんに行ってみたらご報告いたします。果たして、、、。

8/03 2001

第52回 目があったら

目があったらちょっと笑顔で朝なら「おはよう」、暑い日だったら「暑いですね」、寒い日だったら「寒いですね」、それでなかったら「ハロー」とちょっと声をかけます。誰でもいいのです。ただ目があったら。そうすると向こうもちょっと笑顔でこたえてくれます。ただそれだけですがとても気持ちがいいものです。そしてスーパーで同じところでなにか捜していたりすると「これ高いと思いません?」とか、会話が始まります。ひょんなことで友達になるケースも不思議ではありません。

日本でもあると思いますが、多分こちらほどではないかと思います。でも思い出しますのは帰郷した折朝早く散歩にでますとみなさん「おはようございます」と必ず挨拶してくれたことです。何故でしょう。朝は特別なのでしょうか。日本のニュースで目が合って因縁をつけられ暴力をふるわれたという記事を読んで胸がいたみました。それではみんなが顔をそむけていかなければならないわけですから。特にお年よりは寂しくされておられる方が多いもの。ちょっとした挨拶があたたかい気持ちを生んでくれるならしたほうがいいと思わずにはいられません。

8/04 2001

第53回 マロングラッセ

実は私はマロングラッセが大好きなのですが、まず手に入らない、そして値段が高いことこともありすっかりあきらめておりました(マロングラッセにかかわらず本当は栗ならなんでも好きです)。この土地には栗の木がない(どこかのお宅にはあるかもしれないが、珍しい)ので栗が手に入ればなんとかマロングラッセもできるのでしょうがそれもかなわぬ夢・・。ところが、昨日マロングラッセとほとんど同じ味の食べ物に出会いました。何だと思われますか? 実は無花果の砂糖煮なのです。こちらではよく無花果の木をみかけます。みんな皮ごと食べています。友達のパッツイーの家に大きな無花果の木が二つあり今いっぱい実をつけています。無花果はそんなに好きなほうではないのですが彼女のつくった砂糖煮を味わってひっくり返りそうになりました。まさにあの幻のマロングラッセなのです。

さっそく作り方を教わり、好きなだけ持っていっていいよと言われても遠慮していた無花果を全部もらってきて作りました。この無花果は日本の無花果と同じかどうかわかりませんので(日本の無花果に比べかなり小さめなのですそして皮もやわらかい)お試しになる方は初め少しの分量でお試しいただいたほうがよろしいかと思います。無花果をカップ2としたら砂糖をカップ1強くらいです。熟した無花果に砂糖をまぶして一晩くらいしますと水分がでてしっとりします。それを弱火でゆっくり煮詰めます。色もあめ色になりそのままさまします。実をくずさないようにします。スプーンで口に入れるとあのマロングラッセの味がしますし、香りもなんとなく似ております。早速無花果の木を植えなければ、そしてもし栗の木も手に入ったらそれも植えましょう。この意欲が食べ物だけでなく他のことにも出てきますようにと思うこのごろです。

8/05 2001

第54回 十代の頃・・

ヒルダのご主人エドが 「日本の高校生はどんなパーテイーをするの?」 と質問してきた時なんか寂しい気持ちがしました。 こちらの高校生はよくみんなとパーテイーをしたり、ダンスをしたりとても楽しい時代を過ごしているからです。高校生になりますとプロムという男女が正装したダンスパーテイーがあったり、それでなくとも友達があつまってなんやかやパーテイーが行われています。私の十代のころのなんと静かな生活だったことか、、、。男女交際などはあこがれで高校時代は男女別学ということもあってデートという言葉も遠いところにおかれていたような気がします。それなりに楽しい思い出もありますが、やはり十代のころから少しずつ男女交際をはじめて人間関係の巾を広めていくことは大切ではなかろうかと思います。きっと今の高校生はもっとオープンに交際をしているかと思いますが・。

こちらの中学、高校生はちゃんとデートの相手がいて一緒に学校の昼食をカフェテリアで食べたり、一緒に学校の中を歩いて教室にいったりと自然です。100%がデートしているわけではありませんが、多くのカップルを見かけます。堂々とオープンな交際ですから親ももちろん相手のことを知っていますし、家によんで一緒に食事をしたりすることも普通に行われています。逆にいろいろな規則とか世間の風潮とかで交際が不自然に扱われる場合、交際は隠れて行われたり、勉強にさしさわりがあると親が禁止したりすれば多感な若者の心は迷いますし、反感を感じることになることは避けられないと思います。その国々、地域で様々だと思いますが、私はアメリカに住んでこちらののびのびした十代の若者が楽しそうにデートを楽しんでいるのを羨ましく感じるのです。

8/06 2001

第55回 デイライラ

デイライラ、トム ジョーンズの歌ではありません。彼女はラジオのトークショーを担当している女性です。毎週夜7時から5時間くらい番組は続きます。彼女に全国各地から電話がかかってきて彼女と短い対応をし、かけてきた人が曲をお願いすることもありますし、彼女がその会話にあった曲を選んで聞かせてくれます。かかってくる様々な電話は深くなやんでいる悩みであったり、だれかに感謝を伝えたいということであったり、人生の質問であったりそれこそいろいろです。 デイライラはとても聞き上手でしかも彼女自身辛い人生を歩んできたこともあって的確な対応をしてくれています。そしてその時に流れる曲がとても状況にあってしっとりと心に響きます。

インターネットで今まで知らなかった世界が広がり、コミュニケーションも多くできるようになりましたが、やはり生の会話にまさるものはありません。1年半前に両親を亡くしとても大切な話相手を失った寂しさは計り知れないものがあります。特に母親という存在は大人になるとなんでも話せる友達という関係にもなってまいります。いつ電話しても母の声が耳に届き、安らぎと愛を得られたことがどんなにありがたいものだったか今も深く感じられて仕方ありません。デイライラと電話の相手の会話を聞きながら、やっぱり会話だなと思いました。きちんと相手の話を聞いて、こちらの話も相手に伝わり心が通い合う。やっぱりこれにはかてません、どんなにインターネットが発達しても。わたしはそう思うのです。

8/07 2001

第56回 もし、、、

私は夕方家の前の道をヘッドフォーン型のラジオをかけて歩きます。距離や時間を決めず好きなだけ歩きます。このとき耳に入ってくる音楽がとても深く心に響きます。普段はメロデイーだけを感じている音楽もこの時は歌詞に注意がいくのです。そして歌詞をよく受け止めてみるとジーンとくることがよくあります。涙がでてくることもあります。歩く道は私道というかほとんど車の往来もなく、隣組の6件の家がぽつぽつとたっていて高くて大きな木がいっぱい立っています。歩きながらいろいろなことを頭に浮かんできます。昨日思ったことは、もし、もし何か才能を与えられるとしたらどんな才能が欲しいかなということでした。

作家、絵描き、役者、工芸家、いろいろ思い浮かべこれがいいと最後に思ったのはシンガーソングライター。成功して人に認められなくとも、お金儲けにならなくても自分でつくった曲に自分で詩をつけてそれを声に出して歌えるというのはすばらしいことだと。いつでもどこでも歌うことはできます。そして心のなかの悲しみ、怒り、喜びの感情を声にだして歌えるというのは素晴らしいことではないかと思ったのです。やろうと思ってもできません。これはやはり与えられた才能なのでしょう。キャロル キング、エルトン ジョン、カーリー サイモン、シェリル クロウ、ビリー ジョエル、オダ カズマサ、さだまさし、ユーミン他にもたくさんいる才能人、いいなあと思いました。

8/08 2001

第57回 南部の枝豆つけたし

14話と15話に南部の枝豆で ボイルド ピーナツ の話をいたしました。今、例のグリーンピーナツが盛りで大きくふくらんだピーナツがうずたかく積まれております。そこでひとつひとつ選びながら袋にいれていると買い物をする主婦が来ますので一人一人に茹で方を聞いてみました。そうしましたら意外な事実がでてまいりましたのでお伝えいたします。昨日お会いした方は恰幅のいい小柄な主婦で、おうかがいしましたら、「うちじゃ、あんまり茹でないんですよ。5分くらいしてあと10分くらいそのまま火をとめてなべに入れておいて塩加減をみてざるにあげます」とのこと。それじゃかりかりではないかと聞いたら 「うちじゃ、固い方が好きだから。でも固いと殻から出すのがおっくうでねえ」 とおっしゃる。

そこで私は以前友達からきいた2時間でなく今回20分煮て30分そのままなべにおいたやり方やってみました。そしたら歯ごたえがあってこのほうがいいなあと思ったので、あわててみなさんにお知らせしようと思ったわけです。それぞれのお宅でちがうようです。ですのでもしグリーンピーナツが手に入ってお試しするときはみなさんも茹でながらつまみながらご自分の加減をみつけて召し上がってみてください。でも5分なんかじゃおなかこわすんではないかと思ったりしました。

8/09 2001

第58回  カロライナ レン

カロライナレン(日本名ではなんと言うかわかりません) という野鳥がベゴニアのハンギングバスケットに巣を作り卵を4個産みました。この鳥は警戒心が薄くよくガレージの中とか家の軒下とかに巣をつくります。ガレージの中に作ったときは困りました。ガレージのドアの開け閉めをどうしようかという問題が出たからです。申し訳なかったのですが巣づくりの途中で巣を移動させてもらいました。卵を産んでからですと移動は難しくなってしまうので。レンの卵は鶉の卵より少しこぶりで茶色のSpeck(スペック、小さなてんてん)が入っています。彼らは春から夏にかけて1回から2回卵を産みます。この鳥はオスとメスの区別がなくとてもすばしっこく動き、うしろの尾がピンと立ったりしています。虫(とくに蜘蛛)を常食としています。

卵がかえると親鳥は餌をあたえるために忙しく動き回ります。今回困ったのは、このハンギングバスケットは地上から1メートルちょっとでタビ(オス猫)なら飛び上がって届く高さなのです。でももう卵は巣に落ち着いているし、、、。仕方なくこのままにしておくことにしました。ただ一番困るのは子供が大きくなって巣立ちをするときです。タカや鷲のように巣からスッと飛び立てず、どうしても地上に着地して何回か練習してからでないと飛びたてないのです。ですからこの時外猫のすばしっこいのをガレージに閉じ込めなくてはいけないかな、とか今からちょっと考えています。暑いさなかですと、猫もぐたっとしているのでうまくいったら見つからずに巣立ちができるかもしれません。卵のうちは大丈夫ですが、雛になってからはしばらく目が離せなくなりそうです。困った困った。

8/10 2001

第59回  道路にて

便利?な交通規則があります。信号が赤でももし表示(信号が赤の場合右折禁止)がない場合は安全を確認してOKの場合右折できます。こちらは車は右側通行ですからそうなり、日本の場合に置き換えたら、信号が赤でも右から車が来なかったら左折可能ということになります。これはとても合理的な規則だと思います。あと4Way Stop という交差点をよく見かけます。四つ角全てにストップサインが立ててあり、一番初めにそこに来た車が一時停止の後一番初めに進行できるのです。ですから自分が何番目か、どの車の次に出るのかよく覚えておかないといけません。これは慣れるのに少し時間がかかりました。こちらは日本の道路向きではないような気がします。

あと面白いのはパトカーが隠れていてスピード違反を取り締まっていると、それを見つけた車はこちらに向ってくる対向車にブリンカーでヘッドライトを点滅して「ここにパトカーがいるよ、気をつけて」と信号をおくってくれるときがあります。そうすると次の車も同じように「警告の点滅」をしてお互いに助け合い?をします。また国道などでもヘッドライトの点滅信号はよくつかわれます。もし大型トラックが車線変更をしようと点滅しているときにその後にいる車が近いところを走っていると点滅して「斜線変更OKですよ」とトラックに合図をしてあげますとトラックが安心して車線変更できます。そしてありがとうという信号(ちょっと忘れました)を送ってくれます。なかなかこの道路にて行われる知らない相手とのコミュニケーションには気持ちのいいものがあります。

8/11 2001

第60回 I−20

I-20、インターステート20号(国道20号線)は Vicksburg を横断していますがテキサスとジョージアを結ぶ国道です。家のすぐそばを走っています。ですからこの国道にのればダラスからアトランタに行ける訳です。ミシシッピの首都ジャクソンに行くのにも I-20 を使います。大体50分で行けます(最高時速70マイル・約毎時113キロ、でもみんな時速80マイル・約128キロ位で走っています)。日本ではどうかわかりませんが国道にのったらクルーズコントロールを使ってのんびりドライブできます(時速をセットアップすると足をアクセルからはなし床においたままドライビングウィールだけで運転)。テキサスに住んでいたころ海辺の町コーパス クリステイーからサンアントニオまで一人で運転したのですが、まわりになんにもなくて昼食後ということもあってクルーズコントロールで運転していたらあまりに眠くなったのであわててクルーズを切って窓をあけてバシバシ頬をたたきながら運転した覚えがあります。一人で夜運転するとき、市街に近づいてきたときなどは危ないですから使わないほうがいいようです。

さて、私はあまり遠出のドライブはしませんがジャクソンには月に1,2回まいります。そのとき I-20 を運転しているとき通り過ぎる車や、前の車のライセンスプレートを見て他の州の車だったりするとなんか楽しくなります。こちらは州によってデザインが異なりイラストやバックグラウンドの色があるので楽しいのです。NYは前黄色でしたが今はちょっと変わってしまい残念です。テキサスはテキサスの旗の色。カリフォルニアなんか見ると「まあ遠いところから、、」と思ったりします。ミシシッピは最近マグノリアの花が真中についた模様にかわりました。そしてこれは日本で可能かどうかしりませんがこちらは自己負担でプライベートなライセンスプレートを作ることができます。たしか6,7文字までOK.引っ越した私たちのテニスプロは「TNISPRO」だったと思います。あと「BEACH」「K&M」とかなんでもいいのです。一時わたしも「NEKO」とつくろうかと思ったこともありました。おたくだったらなんになさいますか?

8/12 2001