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第76回 ドロシーさんと   第65.66回の続きです。 おじじ注

先日ドロシーさんとお会いしてクリスマスカードの宛名書きを見直したり、カードを注文したりと午後のひとときを一緒に過ごしました。ランチを一緒にいただきながらいろいろとお話をいたしました。ドロシーさんが日本にいらしてすぐのころは、アメリカ軍が日本におり日本は大きく変ろうとしていたときでしたそうです。ドロシーさんが教師をしていた学校は立教女学院で小学生から高校生まで教えていらしたそうです。授業の他にも慶応大学の英会話クラブの学生たちや、他の英会話を習いたい人たちがお宅にたくさんいらしたそうです。

みなさんとても英語習得に熱心だったそうで、また授業の時のみなさんの態度がとても礼儀正しく感心したとおっしゃっておられました。ただ1950年代の頃と1970年代のころを比べると生徒さんの様子がとても変ってきたともおっしゃっておられました。初めのころの生徒さんは自然環境や日常のことなどのテーマにも興味を示されていましたが、70年代になってくるととにかくアメリカの情報に興味が集まっていて自然の話とかにはあまり興味を示さなくなってしまって残念だったともおっしゃっておられました。ドロシーさんの若いころの写真を拝見しましたがとてもしっかりした、そしてちょっと厳しそうな先生にお見受けいたしました。
   さあ、これから宛名書きが始まります。

9/01 2001

第77回  ブリッジクラブ

こちらの奥さんたち(子育てが終わり、人生に余裕が出てきた歳からお年よりまで)は気の合う4人があつまってブリッジクラブなどを結成します。このクラブは長く続くようで、知人の御母さんは仲間達と30年くらい続けているそうです。未亡人の方もたくさんいらっしゃいます。集まるのは月1回のペースから週一回のペースといろいろあり、4人の中で誰かブリッジの日に都合が悪い時はその人は変りの人をさがして代理で送ります。場所はクラブのメンバーのお宅となり、お茶やお菓子を用意して、朝の10時ごろ始まりお昼を一緒にいただき、その後また2時間くらいプレーして終わりとなるようです。

4人が正方形のテーブルでパートナーを組みながらプレーするこのブリッジは、なかなかいい頭の運動となりますし、仲間といろいろな話をしながら楽しい時をすごすことができるので、とてもいい集いだと思います。アジアでもマージャンをする女性のグループがあるようですね。私もいつかブリッジを習得してどこかのクラブのサブとしてこのサークルに少しずつ入っていこうかと考えております。ちなみに夫婦でするブリッジ仲間グループもあるようです。

9/02 2001

第78回 グリーティング カード

アメリカはカード産業が発達しており、スーパーにもかなりのスペースでカードのコーナーが設けられております。誕生カードのコーナーが一番大きな割合をとってありますが、他にも病気見舞い、お悔やみ、Thank You、出産祝い、リタイアー祝い、励まし、友達へ、家族へ、離れている人へ、その種類には驚きます。またかかれている言葉もそれこそ自分で言い表わせない思いをピタリと表現してくれるものがございます。面と向ってはちょっと気恥ずかしい言葉もカードでしたらOKです。

アメリカに住み始めてこのカードが日本にいる家族と私達の大切なコミュニケーションの役割を果たしてくれました。誕生日、結婚記念日、母の日、父の日、クリスマス、ハロウィーン、イースター、Get Well、如何していますか? と様々な楽しいカードを両親のもとに送りました。選ぶのも楽しいものでした。そしてそれを喜んでくれた両親の返事を読むのも幸せなことでした。今でも両親の写真の横にはカードコーナーがあり、同じように続けております。そろそろ父のバースデーです、カードを選ばなくては・・・。

9/03 2001

第79回 九月になると

新聞に広告がありました。9月8日の土曜日にミシシッピ川にかかるツインブリッジの古いほうの橋でヒストリー ラン(歴史マラソン)が行われます。距離は5マイル(8キロ)で個人エントリーでも友達のグループでエントリーも可能です。春にはミリタリーパークにて歴史マラソンがあり、年2回このマラソンがあって結構参加する人がおります。他州からの参加も多くにぎやかなイベントです。私の歯医者さんも隣近所のご主人も参加しています。女性はウオーキングも可能で毎年このためにTシャツが作られ参加費用を払うとTシャツがもらえます。

マラソンのあった次の日の日曜日の新聞に結果が発表されます。一位から100位くらいまでずらっと名前が並び、おまけに年齢も書かれます。この年齢を見ると結構中年の人が若い人を抜いて頑張っている様子がわかります。この春と秋のマラソンイベントとリバーフェステイバルはこの街の楽しい年中行事で街はとても盛り上がります。どうもジョギングが苦手な私は応援だけにしております。ちょっとくらい雨でも決行です。ミシシッピ川にかかる橋をたくさんの人が歩いたり、ジョギングしたりして渡る光景はなかなか趣がございます。

9/04 2001

第80回 Hunting Seasons

今年のハンテイングの予定表が新聞に載りましたので参考までにご紹介いたします。

白尾鹿

この狩猟可の鹿の条件がいろいろあって今回省きますがかなり細かい条件つきです。

他に、カモ、ガチョウ、野鳩、ちなみにカラスは11月3日から2月28日まででノーリミットです。ハンター達はきっとカレンダーとにらめっこしていることでしょう。

9/05 2001

第81回 グローサリー ストア 1

スーパーマーケットをこちらではグローサリー ストア(Grocery Store)と呼びます。日本でも大型スーパーが広い駐車場付きで経営をしておりますね。皆さん車での大きな買い物が普通になりました。さて、グローサリー ストアに入りますと壁沿いにまず野菜ものがあり、続いて肉、魚類、そして乳製品や卵、ハムなどのデリ製品、そしてビールなどのドリンク類と並びます。野菜売り場には秤が常備してあり目方を量って買う人が結構おります。店の中ほどに棚が並び細々した食品が並びます。こちらに来てまず驚いたのはミルクの大きさ、1ガロン(約3.8L)の容器にはびっくりしました。3人の育ち盛りの子供を持つパッツイは一週間に2ガロンものミルクを消費すると言っていました。パック入りの肉にしてもそのステーキの切り身の大きいこと。アメリカ人の身体の大きさにも納得がいきます。

9/06 2001

第82回 グローサリー ストア 2

アメリカでは郊外に住むとちょっと買い物にというわけにはいきません。ですから一週間分まとめ買いをする人がたくさんいらっしゃいます。自宅には冷凍庫をガレージなどに置き肉類、冷凍野菜、冷凍食品などを保管しています。もちろん家のなかにも大型冷凍冷蔵庫があります。街中に住む人でも結構冷凍庫を別に備えている人が結構いるようです。あと気が付いたのはやはりこちらではよく缶詰を利用することです。私はどうも缶製品にある独特の風味が気になってほとんど利用はしておりません。食材の種類を見るとやはり日本はダントツに多いと思います。日本人は健康だというイメージがとてもあり、豆腐など大豆製品、緑茶などに注目がありますがどうも日常の食事に溶け込むことは難しいようでサプリメントとして取り入れているようなところがあるようです。日本のスーパーは今の私にとって竜宮城のような所となっております。

9/07 2001

第83回  アメリカ式ダイエットの数々 1

日本でもダイエット関係に関する情報は多いですね。アメリカも大分前からそれこそ様々なやり方が紹介されています。以下はほんの数例です。

* Dr アトキンスダイエットは炭水化物、糖類の摂取をこれでもかというほどコントロールする食事療法。例えば朝はベーコンに卵パンも果物もなし。お昼はハンバーガーのパンなしとか、私にはとうていできません。パン、ご飯、パスタ類を食べてはいけないというのはもう初めからだめです。でも男性でこのダイエットをした方を何人か知っていますが、これは確実に効果がでます。でも続かないようです。

* 次に、ダイエット飲料を朝と昼に飲み、夜は普通に食事してもいい(といっても量には気をつける)。このダイエット飲料はどうしてもミルクシェークのようなものですのであまったるい感じがします。これを朝、昼の食事がわりにするのもできません。

9/08 2001

第84回 アメリカ式ダイエットの数々 2

* シュガーバスターというのは、とにかく糖分の摂取を極力なくすシステムです。これも糖分というのはいろいろなところに隠れていて、にんじんなどの野菜にもありますし、果物などにもたくさん含まれています。デザートなどもってのほか。これもあまり精神的に健康的ではないと思います。

* 日本でもありますが、ダイエット会社で食事を宅配で供給するシステム。これはきっとうまくいくと思いますが飽きるのではないかとも思います。やはりできあいの食事でなく、新鮮な材料をつかって食べたい料理をする楽しさ、食べる楽しさは体だけでなく心の大切な栄養にもなるようにも思うのです。

どんなことをいってもやはりバランスだと思います。食材、量、それに適度な運動、このバランス。友人から聞いたダイエットというか一つのアイデア、これは私にもできるような気がいたします。それは、出された食べ物の四分の一を必ず残すやりかた。腹八分目にちかい方法でしょうか。日本に住んでいたらもっと体重が増えているかもしれません。日本には美味しそうな食べ物がわんさかあるのですから。ここに住んでいる限り、それほど食べたいものがそうあるわけでないので、それほどダイエットをする必要はないような気がいたします。

あ あぁ・・・秋刀魚の塩焼き、、、。 9/09 2001

第85回 大きな変化

ミシシッピの首都ジャクソンに日本の自動車会社が工場をたてることになりました。自動車産業はミシガン州を中心にその周辺の州に集まっておりますが、今回ミシシッピの方まで南下してきました。自動車工場が建つとそれに関連した様々な会社も移ってくることになるわけで、周辺の地域には大きな変化が生じます。ミシシッピは極端に日本人の少ない州ですので、今回、どのくらいの規模の変化が生じるかとても興味があります。私の住む Vicksburg にも日本の会社が来ることになりました。

現在その関係で2人の方がここにいらしておりますが、お話をきいて自動車工場の運営の規模の大きさ、そしてそれに関わる関連会社とのシステムの複雑さに思わずうーむと思ってしまいました。車を構成する部品をつくる様々な会社がこの自動車メーカーと一体となって動くわけですが、スケールの大きさに驚きました。 大きなプロジェクトにたくさんの人々が関わって立ち上げる様子を見ていると、マンパワーのすごさを思うのです。無限の可能性を見る思いがいたします。

9/10 2001

第86回 くもの巣城

多分この事を公言するのは恥ずかしいことになるのかもしれません。私は虫に興味があると申しましたが、今回は蜘蛛についてちょっと・・。あまり人が来て目立つところにある蜘蛛の巣ははらいますが、めだたないところの蜘蛛の巣はなるだけそのままにしておきます。こう申しますとなんだか我家は蜘蛛の巣城みたいなイメージがでてきてしまいそうですね。蜘蛛の巣を見るたびに感心してしまいます。特に朝、水滴のしずくが朝日に光っているところなど見ますとほれぼれしてしまいます。蜘蛛が巣をつくるところを見たことがありますが、まず支えの部分をはるのに相当の距離、またどことどこをつなげるかというあたりは考えてやっているのでしょうか。たいした技術です。

そしてそれに補うささえをはってそのあとその間を組んでいくように糸をかけていきます。その間隔も等間隔で実に正確です。出来上がった巣の真中でどうしてかよく頭をしたにしてじっと獲物をまっています。何日もかからないときもあるのでしょう。とにかくひたすら待つわけです。きれいに網のような巣、つげのような密生した植え込みに洞穴を模ったような巣をつくる蜘蛛、地面の芝に網をはる蜘蛛いろいろな種類の蜘蛛がおります。池で水の上を歩く蜘蛛をみた時は驚きました。蜘蛛の世界も奥が深いですね。

9/11 2001

第87回  今日の事件

いつものように朝の仕事をして朝ご飯を食べながらラジオを聞いていたら、突然臨時ニュースが入りNYのワールドトレードセンターに飛行機が飛び込んだというではありませんか。それも時間を置かず2機も。思わず急いでテレビをつけましたらすべてのチャンネルが実況中継をしていました。ハイジャックされた民間飛行機だそうです。予告もなにもなく突然の出来事だったそうです。ニュースを聞いているうちにペンタゴンから臨時ニュースが入りペンタゴンにも同じことが起こったようです。ブッシュ大統領も訪問先の小学校から声明を発表し、、早急に事件を究明すると緊張した面持ちで話急いでキャピタルに戻ったようです。

テロリストの犯行だということは明確だそうです。映画ではよくとりあげられるテーマでも実際に起こると全く気持ちの上で異なるような気がいたします。この犯罪は緻密に計画されていたようです。現在すべての飛行場は閉鎖され、空の便はすべてストップされています。アラブ諸国で起きている爆弾テロのニュースが今こうしてアメリカに起こってみるとその凄まじさ、恐ろしさ、非情さが実感できるような気がいたします。今庭では小鳥達が餌をついばみ、お日様が木々の間を昇りつつあります。そんななかこうしてテレビで見る映像は別の世界のことのように思われるのですが現実に起こっていることなのです。私もとても今緊張した気持ちになっております。

9/12 2001

第88回  NYのテロ事件2

今日は朝からずっと NY のテロ事件がほとんど全ての局で放映されています。何度観ても同じような戦慄を感じます。ビルが崩壊して生じたすさまじい灰煙に巻き込まれないように逃げる人々を写した映像をみました。ファイアーファイターが灰煙に巻き込まれながら人々を救助するところも映し出されました。オクラホマシテイーの爆破と以前起こった同じワールドトレーデイングセンターの爆破と規模が異なるにしてもあの2つの事件以来このような救援に対するトレーニングは結構されてきていたようです。

また市民もパニック的な表情はなく、もちろん感情の動揺は隠せないにしても冷静に行動していた様子には感心いたしました。被害者の手配もとてよくアレンジされておりました。救急車はもちろん、パトカー、バスも怪我人輸送に使われ、フェリーも活躍していたようです。テレビ局も国民が知りたいと思っている点を正確に伝えようと気をつけている様子も伝わってきました。 誤報を警戒して慎重に報道しているようです。これは報道を取り仕切る側の大切な姿勢だと思いました。この街にもミリタリー関係とリサーチ関係のUS政府機関がありゲートはしっかり閉まり、人々は家に帰されました。全てのUS政府機関の警戒態勢が強化されています。

9/13 2001

第89回 NYのテロ事件3

時間は刻々と何事にも左右されずただ進んでゆきます。あの信じられない事件が起きてから、もうかなりの時間が過ぎてゆきましたのに、あの瞬間の映像を観ると初めてこの事件を知ったときと同じ感覚が今でも甦ってまいります。これほどまでに精神的なインパクトを受けた事件はありませんでした。時間が経つにつれ人々が次第に落ち着きを取り戻し、それぞれの気持ちをあらためて感じているようです。献血コーナーには長い人の列が並んでいます。とりきれずに帰されるひともいるくらいです。この現象はミシシッピのほうにも及んでおり、献血コーナーにはスーパーから献血をした人たちに差し入れがたくさん用意されています(牛乳、ペイストリー、くだものなど)。

NYの事件が発生すると同時に、NYの建設現場の人たちがたくさん事故現場に向かい、救援へのボランテイアとして支援したとか、事件の発生した近くの病院にはすぐに献血を申し出る人の列ができたとか、住民たちが非難してきた人を自宅にあげて介護したとかさまざまな助け合いのニュースが流れています。今アメリカはこの事件によって国民が自由の国アメリカという国を守るために心を一つにしているような感じを受けます。今後どう様子が展開するかわかりませんが、この事件のインパクトの深さははかり知れないものがあります。

9/14 2001

第90回 今日の気持ち

NYのテロ事件についてあまりに多くの報道にふれ、様々な人の意見を聞いているうちに心がいろいろ変化してきました。あまりに事件が大きすぎて何がされるべきか、何が悪いのかといった考えが浮かんでまいりません。かわりに何故人は武器を作るのか、何故人は宗教の名のもとに戦うのか、何故人は平和のために心をひとつにできないのか、何故宗教の名のもとに戦いが必要なのかといった矛盾と疑問がうまれてまいります。そんな時あまりに無力な自分を思い飼い猫に目をむけたり、餌台の鳥に目を向けたりして心を静めるようにしております。

私にはこの事件に対しての思いをどう表していいのかわかりません。もう民間飛行機がビルに飛び込む映像を画面で観るのは耐えられません。私にできることは献血をすること、事件に巻き込まれた方々を祈ること、全てが平和に落ち着いて人々に元の日常が一日も早く戻ってくれることを祈ることくらいでしょうか。 なんともやりきれません。

9/15 2001