川のほとりで老人と   (1)      k−taka

梅雨の晴れ間を狙って無理矢理取った有給休暇。
   どうしても渓流に浸かりたくて!

ハンドルは帰らなくちゃならない赴任先から自然と反対方向に向くのは致し方ない。以前から一度は覗いてみたい管理釣り場があった。毛針釣りオンリー、自然の渓流に極力手を入れないで運営している伝統ある管理釣り場、Y沢。東京都のはずれに位置するこの地は、車で走ると10分ごとに人混みの香りが薄くなり、自然のムンムンする迫力がまだまだ残っているそんな山里である。取り巻く緑にもかかわらず、気温34度、まとわりつくような湿度を感じながら車を降りて管理事務所に顔を出す。

管理事務所は小さなログで、裏手にはこの地で釣り場を開設した先駆者である外国人のレリーフが飾ってある。なんの変哲もない山村の中で、少しだけスノビッシュな香りがする一角である。料金を支払うと釣り場のイラスト地図と、この川の水生昆虫のガイド、番号のついたバッジを手渡される。この水生昆虫のガイドブックはちょっと驚きであった。写真が入った手帳サイズのその小雑誌は、解説のみならず、この川の季節と昆虫の羽化時期を記したハッチチャートとなっているのだ。そしてもう一つ。キャッチアンドリリースの正しい方法をイラスト入りで解説したパンフレットも手渡された。

ああ、こんな管理釣り場もあるのかと、その時は妙にうれしくなった。ただ釣れればいいだけの管理釣り場で、リリースすればいいとばかりに魚をぞんざいに扱う釣り人。魚の食性の研究から、毛針の発展を経て、そのこと自体に喜びを見つけて来たこの釣りに気づかない入門者の増加。ゴミが目立ち、モラルが低下し、場所取りに血眼になる管理釣り場に、憂鬱になる同好の士は少なくないであろう。 むりをしないで、こうゆう取り組みをしている釣り場があることがうれしくなった。

つづく

川のほとりで老人と   (2)      k−taka

事務所下のプールを覗きながら、上流に向かってつり上がる算段をした。川の両脇は民家が建ち並び、その生活がこの川に密接であったことを物語るように、これと言った瀬や流れの両岸では、部屋の窓が流れに向いている。

500メートルほど遡り、橋のたもとから川に降りた。この温度なら魚は表層にいるかもと、未熟な推論で結んだパイロットフライは管理人お勧めの12番エルクヘアカディス。ただし、ボディーはテレストリアルを意識したピーコックとブラウンのハックルのものを選び、狙いは流れの脇と白泡の周辺に集中しようと決めた。最初の一匹はやはり流れの脇からガバッと出た。30cmを超える虹鱒であった。3番のロッドを満月に曲げ、上流に走る走る。寄せてもまだ走る。久々の魚の感触に、ちょっぴりドキドキのうれしい瞬間。やっと引き寄せて、フォーセップでそっとリリース。あーよかった・?。でも何か腑に落ちない感触。ヤマメを求めて上流に遡航するも、あの美しいパーマークには会えずに夕方になってしまった。

集中がとぎれると、釣りはとたんに雑になる。元から腕に覚えはなく、またキャリアも浅い。数匹の場違いな大型虹鱒を楽しんだ後は、ビール休憩とただの渓流散歩になっていた。

もう充分だった。魚釣りは久々だったし、渓流に本当の意味で腰まで浸かれた。そう僕はウェーディングフリークなのだ。例え魚が釣れなくても、水に浸からないと満足できないのである。そんな不出来なFFも、久々の釣りに満足し、たとえ至福のイブニングをパスしようとも、あとは温泉でも浸かって帰れば完璧な休日だなと、まだ明るい5時少し過ぎに揚がることにして車に戻った。

その老人は日焼けして骨と皮だけになったような体を揺すりながら、それなのにまだ汗をだらだらと流しながら近づいてきた。

つづく

川のほとりで老人と   (3)      k−taka

その老人は日焼けして骨と皮だけになったような体を揺すりながら、それなのにまだ汗をだらだらと流しながら近づいてきた。土汚れのついたランニングシャツは汗でシミができ、しわくちゃの手に、何か木の枝を持っている。

「こんにちわ」と老人。「こんにちわ、暑いですね」と僕。

ヒグラシか何か、虫の声が一掃高ぶる。

「釣りをなさっていたのかね? これから、・・、あの管理人さん小屋からここいらまで、ずっと、ヤマメやイワナが沢山出るんですから、そう沢山ですから、これからやらなくちゃ、今までこの暑い中を頑張ったんですから、これからが釣りをやらなくちゃいけないときですから、・・、帰りなさるんか?」

「?・・・・」しばしの無言。「ええ」と僕。

「手ぬぐいをば、いまもってないんで、・・・、この暑い中を、暑い中をば頑張ったんですから、これからですから、管理人さんが合図、上がれの合図をするまでは、日没までは旦那さん、やらないと、これからな/んですから」

その困ったような訴えるような真摯な瞳にドギマギしてる僕を後目に、その老人は体中の水分を額からほとばしらせてさらにこう訴えるのだ。

「ほんと、これからですから、今までこの暑い中、暑い中で釣り頑張ったんですから、管理人さんが上がれ言うまで、旦那さん、釣りをばしなさるんがよろしいです。これからですから、ほんとこれから・・・・」

老人の汗は止まらず、こうしている間にも彼の日に焼けてしわしわの肌が乾ききって、檜皮色にくすみ始めるような強迫観念がわいてきた。
「わかりました、場所を変えてこの下でもうすこし」と答えるのが精一杯であった。

「よかったらこれあげますから」。

「??、なんですか?」と僕。

「モミジの木です。よかったら、よかったらですけど、あげますから」。

やはりもらわずにはおけない雰囲気に、受け取ったモミジの苗を握った手が、じっとりと汗ばんでいることにその時は気づかなかった。

老人が去っていく。日が陰った道を体を揺すり揺すり帰っていく。ほっとした安堵感を感じて車に乗り込もうとした刹那、遠くからまた老人が叫ぶ。

「約束ですぞー、きっとー、かならずー、日没までなさってくださいー、約束ですぞー」

つづく

川のほとりで老人と   (4)      k−taka

車を事務所脇に移動して悩んでしまった。もう充分なのである。おまけに汗ばんだ体が不快で、早く湯に浸かりたかった。ここに来る途中にH町三沢に「つるつる温泉」なる施設があることは目を付けてあるのだが、どうにも老人の言葉が気にかかる。いやイブニングが惜しいというのでは決してない。もう充分なのだから・・・。

何故彼は、あそこまで熱意を込めた目で僕に訴えたのだろう?
それは、この釣り場に来てからずっと感じていたある感覚を、あの老人によって呼び覚まされたことの戸惑いかもしれなかった。
山里の民家の間を流れる川と、それを特定の釣り場として管理していく形態。日本のフライフィシング黎明期、特権階級の釣りがどうやってこの山村に根付いたのか。そしてそれがこの国のフライフィシングにとって理想型かどうか?といった漠然とした不安。もしかして我々はあの老人から、彼の心の川である”カーティスクリーク”を奪ったのではなかろうか? 彼もそしてこの山村の人々もみんなが愛して止まない川。それなのにもう自分たちだけのものでない、管理された川。そこで釣りのできるありがたさ、羨望、複雑な感情。彼には、この川の一番の至福なひとときを、いとも簡単に棒に振られることが残念でたまらなかったのかもしれない。

ここの人々の釣り人への目は温かい。行き交う村人、河原から見上げる対岸の民家の布団干しの女性、売店の老婆、そしてあの老人。多くの先駆者が節度を守りながら築いたこの釣り場の今がここにある。それは理想といえるかはどうかは別として、釣り人に対する一つの答えであるのは事実である。ゴミも少なく、魚は管理され、川の自然は保たれている。後はそこで釣りをする人々に課題は残されているかもしれない。
そしてこの釣り場のの未来は、これからここに来る我々全ての釣り人にかかっている。

今、僕たち釣り人に求めれれるのはいったい何なのであろうか?そんな釈然としない、あいまいな気持ちを感じずにはおれない夕暮れであった。 ウェーダーを履き、シューズの紐を結び直した。魚への執着はまったく消えていた。ロッドを組み、リールをセットして河原におりる。夕暮れまでの時間は、あの老人との約束だから。