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第176回 釣り人の気持ち

なんだか釣りの世界がにぎやかに、そして楽しそうになってきたようですね。私は釣りをしたことがありませんからまったく想像だったり、観た映像から思ったことしか言えませんが、やはり魚が針にかかったときの瞬間から引き上げるまでの間は相当気持ちが高揚するのではないかと思います。魚がかかって糸を巻く間どんな気持ちがするのでしょう。もちろん「魚は針が口に刺さっていたくないかな?」とか「抵抗するともっと痛くなるからさからわないように」とかいう考えは起きないかと思います。魚はどう思っているのでしょうか。「しまった!!!」と思うに違いありません。

釣り人の気持ちを思う時、釣りにいくことに楽しみを感じる人、魚を釣ることが一番楽しい人、魚がかかるのを待つ間の時間をすごすことが一番楽しい人、自然の中に入って俗世間のいろいろなことを思わず過ごすことに喜びを感じる人、いろいろな思いをもって釣りをなさるのだと思います。釣りに似たことって他にどんなことがあるでしょうか。ハンテイングは全く異なると思います。野鳥を愛する人とか蝶を採集する人、星を観る人とかは同類ではないかと思います。私もどちらかというと自然に仲間になれるような気がするのです(あまり辛抱強くはありませんが) 反論がでてくるかもしれませんね。

2002 4/12

第177回 鳥も花が好きらしい

鳥たちにも食べることとか遊ぶこと意外にも好きなことはあるような気がします。心をもっているのでしょうか。奇麗な花がさいている木にはよく鳥たちがやってきますし、満開のユキヤナギの植木コーナーはとても人気があって何種類もの野鳥がユキヤナギの白い花がいっぱいついた小枝に埋もれるようにつかまっていたり、かくれんぼをしているようにも見えました。野生の動物だって楽しみはきちんと持っているに違いないと思います。人間に近いサルの世界には様々な遊びが見られますし、猛獣類でもお腹が一杯だったりしたとき仲間とじゃれあったりして遊んでいるようです。遊ぶという行動は心が関係しているのではないかと思うのです。楽しいという感覚はどうしても心が関わっているのではないかと思うのです。きっと人間のような複雑な心の動きはないにしても楽しい、悲しい、寂しい、気に入らないというベーシックな心の感覚は絶対あるに違いないと思うのです。別に確かめたいとか、調べたいとか思いませんが、そうあると仮定して彼らのことを考えたいと思うのです。

2002 4/15

第178回 困った目覚まし

私の目覚まし(あえて時計とはいわない)は本当に困るのです。まず時間を設定できない、処理するわけにいかない、音だけならともかく体に触れるのでかなり驚く、一晩に何度も目を覚まさせる、しかも一台ではない。どうですか、こんな目覚ましがあなたの寝室にあったら。実は猫たちなのです。まずチビは朝早く私のまぶたに冷たい鼻をくっつけます(目を開けるとこの人は動くという判断があるらしい)、メチャは右の前脚で腕をつつく、タマはおおきくゴロゴロと喉をならし頭をぶつけてくる、クロは胸にのっかって前脚2本で喉をマッサージする。

そしてこれが朝方の3時であったり、4時半であったり、5時であったり、するのです。本当のラジオ付き目覚まし時計は毎朝律儀に6時半きっかりラジオを流してくれます。彼らは一日の大半寝て暮らしていますから夜中に結構活動するようなので私の対策としては昼間彼らを眠らせないようにするということになりそうです。しかし敵もなかなかたいしたもので、いつでもどこでもすぐに熟睡してしまうのでなかなかうまくいかないのです。本当に困ったものです。

2002 4/17

第179回 愛しのミミズ

野菜くずや庭仕事ででた植木などでコンポースを作ってから大分たちますが、花壇を作ったり、植木を植えるときにこのコンポースから生まれた土が大助かりです。一週間に1回フォーク(大きなフォーク状の農具、日本名がわからない)でかき混ぜるのですが出てくる出てくる大きなミミズ。彼らに傷がつかないようにかき混ぜるのも慎重です。昔は触ることもできなかったのですが、今では草むしりや土を掘ったときにミミズが出てくるとそっと指でやさしくつまんで手のひらにのせてコンポースに運びます。

このミミズのことはうっかり人に話せません、もし誰か釣りの好きな人に分かってしまったらたいへんですから。ここの場では大声を出して「我家には長さ10センチ以上の太目のミミズがいっぱいいるんですよ」と言っても日本からここまでとりにいらっしゃる方は恐らくいらっしゃらないと思いますし、この場はフライフィッシングですから安心です。とにかく土のなかで生活しているミミズに対する愛おしさが増してきました。

2002 4/19

第180回 陸亀を助けた日 (第96回)

以前、浦島太郎が海がめを助けた話で、もし陸山次郎さんが陸亀を助けたらどんな話に発展したでしょう、ということを書いたと思います。 (第96回 陸亀の場合は?)

実は、今日私は池に落ちた陸亀を助けたのです。どのくらい長い間池でもがいていたか分かりませんが、かなり疲れ果てていたようでした。普通池のそばに行かない時間でしたが、先日蒔いた野菜(スイスチャード)がどんな具合か見に行った時に陸亀を見つけたのです。

陸亀はどんなものを食べるのかわかりませんが、野菜くずがあるコンポースのところにつれていって離しましたら、かなり早いスピードで草むらに入っていきました。その後、私の身辺には何の変化もありませんし、何のお迎えも来ていません。陸亀に遭ったことが私にとって楽しいプレゼントなのかもしれません。

今日は同じ種類の陸亀を2匹見ました。何故2匹と分かるかといいますと大きさがかなり違っていたからです。亀がこうして出てくるのは、きっと春の愛の季節だからかもしれません。

2002 4/22

第181回 庭いっぱいの芳香

庭のいたるところに蔓を伸ばし花を咲かせています。白い花が日が経つとクリーム色から濃いクリーム色に変化するのですが、この植物の芳香がとても強く庭一帯に広がって毎朝窓を開けると部屋にまで広がってきます。香りは強いのですがとてもすがすがしい香りなので気になりません。

とても美しい花なのに香りがしないとちょっと残念な気がします。美しくて香りのある花はやはり得ですね。花を見るとどうしても近寄って香りをかぎたくなってしまうのです。そしてその花の姿にあった香りだと「やっぱり」という思いがして、意外な香りだったりすると驚きます。春に咲く花にはなんとなくいい香りのする草花が多いような気がします。ハニーサックルは此処暫くの間その芳香を庭にまいてくれることと思います。

2002 4/24

第182回 おしどり夫婦

仲の良い夫婦をおしどり夫婦といいますが、おしどりだけでなく鳥の世界には仲のよいカップルがたくさん見受けられます。キジバト、カーデイナルはいつも夫婦で一緒に餌場にやってきますし、ときに夫は妻にくちうつしで食べ物を与えたり毛づくろいをしてあげたりしています。どういうきっかけでお互い結びつくのかわかりませんが、一生離婚はしないのではないかと思います。

雄と雌の姿、色が異なる鳥と同じの鳥(きっと同じに見えても少しは異なるのかもしれません)といます。レンは雄と雌がほとんど同じ姿でどちらがどちらかわかりませんが、この鳥も夫婦とても仲のよい鳥です。今の時期雛がかえって夫婦で忙しく餌をとりにいっては雛に与えています。そしていつも2匹近くにいてまめに言葉を交わすように鳴いています。

2002 4/26

第183回 今年の緑は

やっぱり自然の恵みにはかないませんね。昨年は例年になく降雨量が平均値より上回り、いつも夏の暑いさなかにスプリンクラーを回したり、ホースをもってずっと立って植木に水をあげなくてはならなかったのですが、昨年は雨のお陰で大分助かりました。そしてVicksburgは冬が雨季となるのですが、充分に降ってくれて今新緑がだんだん緑を濃くしてきている時期、植物の元気さが全然違います。

水道の水をまくとそこにはやはり化学薬品も加わっていたりするでしょうし、雨に含まれる何らかの栄養分などもないですからきっと違うのでしょう。それにしてもあまりの木々の葉の発育のすごさに驚いてしまいます。今まではもう少し先のほうまで視線が通りましたが、もう葉っぱの多さと大きさでこんもりし過ぎて先が見えません。朝などはなんだか酸素の量も多いような気がします。すごいですね、自然の力は。ますます敬意を覚えます。

2002 4/29

第184回 草を食む猫

家猫は外に出る機会があまりないのでいろいろと気を使います。運動量、日光浴、刺激、などなど。一番彼らが興奮するのは新鮮な草に対してだと思います。チキン(日本ではお刺し身なのでしょうが)などの普段あまりあげない特別な食べ物よりも草を好むようです。そして冬の時期家猫を外に出すと走って庭に出てすぐに草を食べます。

草を食べるのはおなかの調子がわるかったり、毛玉を吐き出すためとかききますが、植物のなかのなにか新鮮なミネラルを彼らは欲しているのではないかと思ったりします。彼らが好む草はわかっています。私が庭から家の中にはいってくるとすぐに私の手許を見て草をみつけるとまるで襲い掛からんばかりの興奮状態になるのです。毎日はあげられませんが気が付くとよくあげるようにしています。

2002 5/01

第185回 お土産には石を

お土産は何がいいですか?と聞かれたら、そして何でもいいよ、と言われたら、そしてその人に遠慮はいらないと分かったら、私が頼むのは石です。それもやはり漬物石くらいの大きさは欲しいです。そして車でいらっしゃるのなら、そうですね、積めるだけ積んで来て下さいと。ここの暮らしに不便も不満もありませんが、一つ言わせていただくとしたら、石がないのが困る、となるのでしょうか

砂利や小石は売っていますが、ちょっと大きな石は相当高価なのです。私の郷里には川があって川原には大きな石がゴロゴロしていましたし、また観光名所に巨石群といわれるそれは驚くような巨大な石がごろごろ立っていたのです。懐かしく思うものに石のある土地があげられます。庭をかたちづくるにも石がないとなんとなくまとまらない気がします。先日メールオーダーのカタログにプラスチックで模った大石の模型があって一瞬フッと思いました。もちろん買う気はありません。

2002 5/03

第186回 蛾

今日届いたナショナル ジオグラフィーの中に「蛾」の大きな写真の作品が何点も載っていてそのあまりの美しさに驚いてしまいました。どうしても「ガ」という響きは「チョウ」という響きに比べてなんとなく劣るように聞こえますし。そしてイメージもなんだか暗い感じがしてしまいますが、今日の作品を見てみたら「蛾」は「蝶」に勝る美しさを持つと言っても過言ではないような気がします。

「蝶」にくらべ体型のサイズ、形はずっと様々な種類があるような気がします。そして「蝶」のこともよく知りませんが「蝶」の仲間にはあまりパステルカラーはみられないような気がしますが、今回紹介されていた「ガ」の仲間には微妙なパステルカラーのグラデーションがいろいろと見られます。体毛までも美しくデザインされていてすっかり見惚れてしまいました。読み終えたら切り取ってスクラップしようと思います。

2002 5/06

第187回 命の水

このところの暑さはこの時期異常なくらいです。鉢植えの植物には朝夕と水をあげなくてはならないようです。というのはお昼過ぎに何の気なしに外に出て植木鉢を覗いていみたら、もうぐったりとしおれきっていたのです。もう回復不可能だと真剣に思いました。そして祈る思いで水を充分にあげて家に入って夕方いつものように庭にでてみると嬉しいことにすっかり元の状態に戻ってくれていました。

あれだけしおれていたらもうダメだと思っていたのでこの回復には驚きました。人間も水なしでは生きていけません。植物も動物も同じです。植物は喉が渇いたからといって水を飲みに移動できませんから、雨がない日が続いたら相当辛い思いをしていることでしょう。ですからこの暑い時期、雨がときどき降ってくれると本当に嬉しくなります。恵みの雨、命の水。水の大切さをつくづく思いました。

2002 5/08

第188回 梅干に救われた日

めったに身体をこわすことはないのですが、たまに頭痛やお腹をこわすことはあります。今日もお腹の不快感と頭痛が両方襲ってきてまったく困った一日となりました。朝から何も食べる気が起きず、力が入らず一人で闘っていましたが、闘うというよりギブアップしていたといった方が正解かもしれません。風邪にしてもこのような状態のときにしても寝ているのが一番の治療かもしれません。

夕方やはりなにかお腹にいれなくてはと思いごはんをたいて、お豆腐、いりたまご、梅干をおかずに食べることにしました。なんにも入っていないお腹に少しずつ食べ物をいれていかなくてはなりません。何が一番美味しく食べやすかったと思いますか? お豆腐も入り卵もすこし口にいれたのですが、美味しい感じはなく、梅干ですっかりご飯をお茶碗一杯食べてしまいました。梅干は兄が特別にとりよせてくれて送ってくれた甘塩の美味しい梅干です。ゆっくり一口ずつ梅干をのせたごはんを口にいれてゆっくり噛んでいますとなんともいえない幸せな味が口一杯にひろがってとても美味しかったです。梅干がなかったらきっとご飯もこんなに食べられなかったと思います。

2002 5/12

第189回 泥まみれ

ここの生活にはトラックは重要な位置をしめています。女性でもトラックを運転する人がたくさんいます。私がすごいといつも思うトラックは、多分ハンテイングキャンプから帰ったばかりの人だと思うのですが、トラック全身これが泥まみれ、そしてその泥を洗わず必要な部分だけのウィンドウシールの泥をどでただけでちょっときちんと外が見えているのか心配になります。

よくもまあこれだけ泥がつくものだと感心してしまいます。ここまで泥だらけになるには、泥のお風呂にでも入っているのかと思うくらいです。もうかなり田舎でも道は舗装されていますから、相当奥まったところに行かなくてはなりません。 泥まみれの大型トラックはとても得意顔で、堂々としていて、まるで王様のお通りだといわんばかりの風貌で街を走っていきます。そしていつもみんなの視線を集めているのです。

2002 5/13

第190回 退屈

動物にも退屈するということはあるのでしょうか。 例えば猫とても「あ〜あ、何もすることがないなあ、なにか面白いことがないかなあ、、、」と思うのでしょうか。 退屈するという感情は人間にしかないのでしょうか。 へんなことが頭に浮かんできてしまいました。 牧場で草を食む牛や馬もそう思ったりするのでしょうか。 退屈するという感情は贅沢な感情だと思います。 退屈は平和であるということとイコールの関係になるのではないかと思ったりしてしまいます。

退屈するというのは、脳が動いていないから脳が「何か刺激を送ってくれ!」と合図しているのでしょうか。 確かにそう思うことがあります。 猫をみていて、きっと彼らは今退屈しているんだと。 動物園の動物など特にそう見えてしまいます。 人間の平和はいいにしても退屈している動物というのはどうもいただけないような気がします。 退屈している動物というのはなんだか物悲しい感じがしてしまうのです。

2002 5/15