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第91回 世界が一つに

14日はアメリカにとって特別な日になりました。追悼式が厳かに行われ、人々は深い悲しみを感じながらもにアメリカ国民としてみな心を一つにして、新たな何かをみつけたような感じがいたしました。様々な宗教宗派がこの日祈りをささげました。ヨーロッパでもアメリカの国歌が流されアメリカ国民と心を共にいたしました。たくさんの犠牲を伴い悲惨な結果をもたらしたこの事件が、新たな形で世界中が平和に向うよう動き出すきっかけになって欲しい気持ちがいたしました。この気持ちが本当なことになるよう祈る思いです。

れから暫くの間まだまだ瓦礫の下に横たわる犠牲者の救出は続けられますし、この事件の指導者の発見と、今後同じことが二度とくり返されないようにすべく様々なことがされなくてはなりません。これから日常は普通に過ぎてゆくでしょうが、この事件の経過は絶えず心の中に存在してゆくことでしょう。一日一日を感謝しながら送っていくことにいたします。明日から思考をちょっともとに戻していこうと思います。

9/18 2001

第92回 国民の歌

ちょっと思考はまだ戻らないようです。今私達の住むこんな小さな街でも各家々は星条旗を掲げたり、青赤白の色のリボンをメールボックスにつけたり(星条旗は現在どこも品切れです)、車のアンテナにも同じような飾りがみられます。この週末はどこの教会にも、多くの人々が集まり深い祈りがささげられました。買い物で出会う友人知人は、普通ちょっと挨拶するくらいなのに、立ち止まって事件の話をかわしたりしているようです。様々な心配が生まれてきています。

今回思ったことの一つに、アメリカの国歌は誰もが一緒に口ずさむことで、とてもアメリカという国をお互いに感じあうことができるということです。アメリカの国歌はオリンピックのお祝いにおいても、このような悲しみの場でもアメリカ人の心をひとつにしてくれます。日本の国歌を思いました。なんと寂しく、暗く、そして遠い響きがするものだと。もし、もしもです、日本に国全体に影響するような事件が起きたとき、国民の心をひとつにしてくれるものがあるでしょうか。国民の歌の大切さを感じております。

9/19 2001

第93回 血液型

日本では自分の血液型を知っているのは当然ですがアメリカでは知らない人がほとんどです。血液型の話はよく会話のなかでされますし、日本ではかなりの本も出版されており、だいたいの血液型の性格もなんとなくお互い承知しているところもございます。あの血液型の性格というのはたいしたもので、日本人だけでなく外国の人にもだいたいあてはまるような気がいたします。アメリカ人はO型が多く日本人はA型、インド人のB型多いというのを知ると「なるほどねえ」、と頷くものがございます。

血液型を知らないアメリカ人でも私がかじるくらいしか知らない血液型の話(本からの抜粋)をするとみなさん興味を持って聞いています。英語版血液型の本はあるだろうかと捜したことがありますが、見つかりませんでした。何故他の国の人と比べて日本人が血液型に感心があるのでしょうか。私としては、あの人は何型だからあのような性格なのはわかるとか、私は何型だからどうしてもこうしてしまうとかちょっと血液型を理由にすると、なんとなく納得できるような気がするときがよくあります。アメリカ人には血液型とか姓名判断とかホロスコープで相手や自分を考えるということはないようです。いずれにいたしましても、パーテイーなど集いがあるときに話を聞いたり、様子をみて「あなたの血液型は何型でしょう」というと結構当たって(自分の血液型を知らない場合が多いので困ります)話が盛り上がりますのでいいトピックになります。でも軽い話題として扱うほうがいいような気がいたします。

9/20 2001

第94回 歴史的な夜

今ブッシュ大統領が国会で司法行政全てに関わる人たちの前で演説を行いました。私情を含めず言葉を選んでおり、しかもはっきりと大統領の意図を告げていたと思います。イギリスのトニー ブレア首相も来賓されており、またペンシルバニアに墜落した旅客機の搭乗客でテロリストと機内で戦って敵の企てを抑えた方の奥さん、NYのファイアーファイター、警察官、NY市長などの顔も見られました。大統領の演説は一時間近くかかりましたが、私にはとても短く感じられました。 とても感動いたしました。デモクラッツもリパブリカンも今はアメリカ政府として一団になっております。

もし私が現在日本に住んで、このニュースを日本の報道から情報を得、生活をしていたらどんな心境になっているだろうと思ってみました。今私はアメリカで、アメリカ人と同じ波長で感じている自分を感じております。これからアメリカとアメリカと意志を共にする世界中の国々がどう動いていくのでしょうか。

9/21 2001

第95回 ハミングバードは今

今ハミングバードの動きがすごいです。今までは砂糖水は一週間に1回くらいのペースだったのですが今はなんと1日3回2つの容器に補充しなくてはならない状態です。十月には南に渡ってゆくわけでそろそろエネルギーを体内にためるためにそうしているのかなあと思ったりしております。容器の傍(30センチもの近さ)に立っていても全く気にしないで飛び交っています。20匹以上飛んでおります。

翼の羽ばたきの音がブンブンとまるでハチのようで(日本ではハチドリといわれております)たくさんのハミングバードが飛び交う様はまるで航空部隊の緊急事態のような雰囲気です。普通一匹が一つの容器を自分のものとして他の鳥を追い払いますが、現在はあまりの数の多さに容器を自分のものと主張している鳥はいないようです。夕方は目がよく見えないのか全ての飲み口に鳥がとまって一緒に仲良く砂糖水を飲んでおります。毎日砂糖水を1リットル沸騰させて作って用意しておりますが、一日で全部なくなります。

9/22 2001

第96回 陸亀の場合は?

朝、鳥の餌台に餌を置こうとしたとき餌台の下に陸亀が石に乗り上げて足が浮いてしまいモゴモゴして困っているのに出会いました。早速手にとって(片手でつかめる大きさ)、コンポース(野菜くずを捨てて堆肥にする場所)のところにつれていけばさっき捨てた野菜や果物を食べるかもしれないと思いつきました。コンポースのメロンの皮のまん前に頭の部分がくるよううに置きました。この陸亀は手足と頭、しっぽが完全に甲羅のなかにコンパクトにまとまってしまう亀です。じっと待つこと4分間。おそるおそる頭を出してきました。でもとても警戒しています。

暫く私もそこにおりましたが足がしびれてきてしまい他の用事もありましたので、その場を離れましたが、少し経って見てみるとゆっくりゆっくりとちょっと坂になった所を登りながら林のほうに向って歩いていくのが見えました。その歩き方のスローなテンポにウサギとカメのお話を思い出し、同時に浦島太郎のお話も思い出しました。もし浦島太郎でなく陸山次郎さん(仮名)が陸亀を助けたとしたらどこにつれていかれてどんなお話に発展しただろうとふと思ったりいたしました。春になりますとパートナーを探しに陸亀が道路を渡ろうとする光景に出会います。見つけるといてもたってもいられず車を路肩に止めどうしても安全な場所に運ばずにいられません。一度びっくりした陸亀が持ち上げた瞬間放尿したときはこちらの方も驚きました。

9/23 2001

第97回 未来の世界は、、

 ALL YOU CAN EAT!
いわゆる食べ放題のビュッフェ式レストランのサインです。この方式のレストランがたくさんあります。これだから大柄な(あえて太ったとは言わない)アメリカ人がどんどん増えていくわけです。そして値段が安い、そして食べ放題なんだから食べなきゃ損という考えがでてきてしまうのでしょう、きっと。皆さんの食べ方をみておりますと食べきらずに残す人が結構多く、そして残しているにも関わらずまた次のお皿を持って食べ物のコーナーにいってテーブルはお皿と食べ残しの山。見ていて複雑な思いがいたします。私の小さなころは決して豊かではありませんでしたが、戦後の食糧難はすっかりなくなっておりましたし、物を大切にすることとか、食べ物も残さず食べるということは日常言われなくてもみんなが当たり前に感じていたような気がいたします。

物が過剰に生産され、なんでも手に入る便利な世の中。もう少し不便になってもいいような気がします。物が少なくなれば、物を大切にしようという気持ちも生まれ、捨てるものも少なくなるわけですから。 住みよい地球の環境改善,そして保護に役立つようなことにもっと関心をむけていくべきかと思います。環境変化の情報などに注意するとじわじわと信じられないような変化が地球に生まれてきているようです。私は自分が子供のころの回りの自然が、思い出や記憶で今の状態と比較できるので、これからどうなっていくのか不安を感じてしまうわけです。子供達ももっと自分達の住む環境に関心がもてるようにしてあげなけれと思うのです。サイエンスフィクション映画のブレード ランナーは未来の都市をイメージしてましたが、本当にこんな未来になるのだろうかと、とても恐ろしかったのを思い出しました。あの時は「将来このようなことが起きるはずがない」という気持ちで観ておりましたが、今また観たら「将来こうなるかもしれないなあ」という思いが出てくるかもしれません。

9/24 2001

第98回 彼岸花

彼岸花は今盛りを過ぎております。突然ひょこっと茎がのびて真っ赤な花をつける彼岸花を見ると暑くても何となく秋が近づいてきたような気がいたします。こちらの人は彼岸花を切花として家に飾ったりいたします。彼岸花のイメージは私にとってはやはり仏花というイメージがありますのでどうしても切って飾ろうという気持ちは思い浮かびません。日本で生まれ育った間に当然のこととして頭に入ったことというのはいくら外国に移っても変えることは難しいものです。

彼岸花は良く見るととても鮮やかで、とてもあでやかな花ですがどうしてもちょっと暗い、静かなイメージを感じてしまいます。もし仏花という概念が全くなかったらこの花はどのように私の心にうつるのかなと思ってみました。私もここの土地の人のように切って花器にいけるのでしょうか。彼岸花は花が終わると一斉に葉っぱを地中から伸ばしてその様子を変えます。彼岸花は何を合図に地上にいっせいに出てくるのでしょうね。本当に不思議です。

9/25 2001

第99回  ピリエイト ウッドペッカー

この鳥の鳴き声はまるで恐竜時代を思わせる迫力があります。キエーッ、キエーッ、キキキキと聞こえます。とても甲高い大きな声です。ピリエイト ウッドペッカーは大柄のキツツキです。そしてまたすごいのはそれだけではありません。その容姿がとても大胆なのです。キツツキは日本でもだいたいクロ、白、赤の3色が基本色となっているように思いますが、こちらもそうです。

鵜飼の鵜のように長い首の先にある頭はまるでパンク頭で、毛がたてがみにべったりジェルをつけて形を整えて立たせたように見えます。そして首にはクロに白い線が走り、顔には赤いアクセントがついています。翼をひろげますとカラスくらいあり、木に頭を打ち付ける様は日本のアカゲラをミシンがトコトコと布に走る音に例えたら、このピリエイト ウッドペッカーの音は道路工事でコンクリートに打ち込まれる電動ドリルの音に相当すると思っていただけたらいいと思います。打ち付けられた木からは大きな木の破片が飛び散ります。彼らの先祖はいったい誰だったのでしょう。いつ出会っても唖然として見入ってしまいます。

9/26 2001

第100回 百回記念

早いものですね、みなさんにこうしてヴィクスバーグからお便りを送るようになってもう100回目を迎えることになりました。あっという間のような気持ちがいたします。ちょっと話したいこと、思うことを友達や両親に伝えるように書いてまいりました。このコラムが始まる前はただ自分を相手に会話をしていたのでなんだか満足感が得られませんでしたが、こうしてお便りとして手紙を送ったという事実が私にコミュニケーションが成り立った嬉しさを感じさせてくれます。

もっと旅好きでしたらアメリカのいろいろなところや、情報をお届けすることができるのですが、どうも出不精の私なので申し訳ありません。皆さんにお伝えして何か感じていただけるようなお便りをお伝えしたいと思っております。これからもよろしくお願いいたします。なにかご質問等ありましたらおじじ様宛てにお送りください。

9/24 2001   kinu