中禅寺湖の5月は、日毎に劇的な変化を見せる自然に圧倒される季節である。解禁から間もない4下旬、男体山の頂上付近は時ならぬ白い化粧をまとい、湖岸の木々は未だ冬の装いだった。それから3週間。今、湖の自然は、春から初夏へ一気に駆け足で移り変わるかのような変化を見せてくれる。モノトーンだった湖岸は新緑と花々に満ちている。
ミズナラやカエデ・ダケカンバの新緑を思い切り楽しんだ釣り人は、阿世潟から足を延ばせば、ツツジの紅や白が目を楽しませてくれ、上野島から先へさらにブラウントラウトを求める釣り人は、シャクナゲの群生にも対面できる。
それが今の中禅寺湖南岸なのである。
中禅寺湖南岸を狙う釣り人は、立木観音駐車場に車を止めて湖岸の道を歩くことになる。遊歩道の入り口にはゲートがあり、一般車の進入が禁止されている。ネオプレーンウェダーを着用して長い距離を歩くのは、暖かい季節には実に不快である。その気持ちも解らないのではないが、この一般車進入禁止の遊歩道に車を乗り入れる釣り人が少なからずいるのである。入り口のゲートはボタン1つで開閉ができ、舗装が続く民宿”湖月”あたり迄の道路脇には、一目で釣り人のそれとわかる4WDやワゴンが停車している。1997年の自然保護条例により、一般車の乗り入れを規制したのは、全て「我々の共通財産であるこの日光の自然を維持するため」であることを思い出したい。それは我々アングラーにとっても共通の、かけがえのない財産なのだ。
若い頃は外歩きに興じていた。弱くなる肉体に落胆しながらも、以前より高まる興味や関心に自分自身苦笑を禁じ得ない年齢が今である。中年未熟者アングラーは、中禅寺湖の全ての自然と魚たちに興味津々である。可能な限りの湖岸をどこまでもどこまで釣り歩きたいのである。肉体的障壁とモラルのジレンマ。しかしながら、湖岸に車を乗り入れることは良しとしない・・・・
我々の選択は自転車であった。車にコンパクトに積める折り畳み自転車に注目した。立木観音の駐車場で組み立てた自転車にまたがり、釣り場を目指す。阿世潟のワンドまでの道のりは徒歩の1/3の時間と疲労度である。そこから先は徒歩となる。その有機的な速度は、木々を眺め、鳥を探し、湖岸のライズを探る事にも適していると感じる。まさに中年アングラーへの福音であった。
ささやかなルールを守りながら、個人の欲求を満足させる手段は数々存在するはずである。御同輩、中禅寺湖南岸への車の乗り入れは止めましょう。その足がかなわないのなら、2つの小さな車輪が手伝ってくれるはず。そして僕らの子供達やその子供達の時代まで、このすばらしい釣り場を残して行こうではありませんか。
完
現在は自転車での進入も禁止されています。ogg
釣りとは縁が薄かったのですが、
フライフィシングを知り、多くの先輩たちから
いろいろな喜びや感動を教えて貰いました。とてもうれしかったのです。
それだから、私のような未熟者でも
これからこの釣りに入門する人々に何か残してあげられれば、
多くの諸先輩への恩返しになるのではと思ったのです。
節度を守って楽しむ。ゴミは残さない。ローインパクトな釣りを楽しむ。
これは僕にもできる、フライフィシングへのささやかな”ありがとう”です。
k−taka